第5回「3回目の挑戦でプロテスト合格! インストラクターからトーナメントプロへの第一歩を踏み出す。」
念願のトーナメントプロになったのは昭和40年。私は25歳でした。当時のプロテストというのは、今と比べたら甘いものです。1ホール72パーを2日間150ストロークで周ると合格。私の成績はたしか144でした。150人くらい挑戦して合格者は約10人でしたね。私も3回目の挑戦で念願が叶ったわけで、246番目のプロ協会入りでした。もちろん「これでプロだ!やったぁ!」と、小さくもない体が跳ね上がるほどの気持ちでしたよ。
インストラクターも広い意味では「プロ」と言えるわけですが、私の目標はあくまでトーナメントプロの方でした。物価は上がるのにインストラクターの給料が4万円で停滞しているのに対し、トーナメントの賞金は桁が違いますからね。
プロテストに合格した時の勤務先は上板橋のゴルフ練習場です。オープンな性格の私にしては数少ない秘密の理由で浜田山の練習場をクビになった後、すんなりと上板橋に移ることができたのは、練習ボールを卸している業者の方が紹介してくれたからです。この方にも大変お世話になりましたね。
上板橋の練習場というのは、40ヤード6打席しかない小さな規模でした。ここに社長が、70坪の空き地を利用してゴルフ場と同じ芝生を植え、パットの練習場を作ってくれたんです。ここで練習できたことも、プロテスト合格のために大きな意味があったと思います。
相変わらず早起きして都民ゴルフ場でハーフラウンド周り、アクセスの点で申し分のない上板橋に自転車で駆けつけて仕事兼練習。そんな毎日の中でのプロテスト合格という快挙。こうして私の本格的なゴルフ人生がスタートしたわけです。
(次号に続く)