第2回「まずはインストラクター目指 して居候」
ボールを、しかも目の前に置いてあるボールを打って、右に行ったり左に行ったりしていい給料をもらえるんだったら、電気のややこしい配線で四苦八苦するよりよほどいいだろうと、ゴルフのインストラクターになる決意をしたわけですね。仕事の面では、勤務先の広瀬無線でのオーディオの研究にちょっと行き詰まり感に陥った時でもあったんです。電気がすべての少年時代を過ごした私にとって、こういう壁は自分なりにショックでした。
広瀬無線が、屋上にあるゴルフ練習場のために依頼していた小池コーチのお兄さんという方が、荒川の河川敷にある都民ゴルフ場に勤めていたご縁で、ちょっと融通してもらって朝練習をさせてもらうことになりました。夕方だと時間もまちまちになってしまいますし、込み合うこともありましたからね。
会社を辞めて練習に専念はいいんですが、当然のことながらお金が続きません。それで、こんな生活は無謀だと思って田舎に帰ったんです。すると祖母が黙って3千円くれた。その時「ここは俺のいる場所じゃないんだ」と確信しました。長男が跡を取っている農家に私が暮らす余裕なんてないわけです。もう田舎には帰れないと覚悟を決めて、3千円を握って東京に戻りました。
コーチでインストラクターの小池兄弟のアパートに転がり込んで居候ですよ。お土産は私が自分で組み立てたテレビ。まだまだテレビが普及している時代じゃないから大変喜ばれましてね、少年時代からの特技に助けられたわけです。3畳間に2人で寝て、朝はゴルフの練習、昼間はラジオの組立を1台50円くらいで請けて内職です。今じゃあ考えられないけど、ハンダゴテひとつあればラジオくらい組み立てられた時代ですからね。
(次回に続く)