第7回「もちつき大会で思い上がりを非難され発奮」
スリーボンド社から800万円の契約金を提示された時は、びっくりしたのと同時に、すぐ我に返りました。待てよ、いくら何でもそんないい話があるわけがない、となるとスリーボンド社のお客さんにレッスンするような仕事かもしれない。自分としてはトーナメントプロでやるんだと決意したわけですから、報酬につられてここで日和るわけにはいきません。
そこで「トーナメントプロでやりたいから」と断ったんです。すると「OK、それでやれ」と言うではありませんか。とにかくあの時は、金額といい太っ腹な社長といい、幾重にもびっくりしました。
こうして私はスリーボンド社所属のトーナメントプロになるという幸運に恵まれたわけです。1969年のことです。
付近のゴルフ場で練習にあけくれる日々。他の社員よりはるかに高い給料をもらっていることは知っていますから、どこかに申し訳ないような気持ちはありましたが、一方で奢りもあったことは認めざるを得ません。実力を評価されたわけだから厚遇されるのは当然だ、みたいな思い上がりですね。
確か会社の新年もちつき大会の時でした。私のそういう態度が鼻持ちならなかったんでしょう。何か言った時に、ある社員から「そういうことは優勝してから言ってくれ」と、グサリと釘を刺されたんです。
これは効きましたね。お山の大将みたいになっていたことを周囲にも察知されたわけです。なんとしても優勝しなくちゃいけないと自分に誓いました。結果的に、私は2年後の試合で優勝して使命を果たすことになるのですが、その2年間に何をやっていたかというとテレビです。
当時スリーボンド社がゴルフ番組のスポンサーをしており、私を番組に登場させようということになりました。ところが「名もないプレイヤーなんか出せない」とディレクターに却下されてしまった。なんとか出させようと画策して「ワンポイントレッスン」という新しいコーナーを作ることになったんです。
試合にも関係ない。自分のための練習になるわけじゃない。まさかこの経験が2年後の優勝に多大なる貢献をすることになるとは思ってもいませんでした。